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lunaticな女性のアルコホーリクな毎日:当ブログへのリンクはご自由にどうぞ


by luna_oneday
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AAの効果☆

アルコホーリクのLUNAです。
わたしがアルコール依存症専門病院で依存症と診断されたのは、2000年10月末のことです。
初診の日は、アルコールを一杯引っかけてから家を出たのをおぼえています。

入院ではなく、毎日通院という方法で治療を始めました。
毎日、ソーシャルワーカーの面談、主治医の診察(診察のなかで抗酒剤を服用します)、肝臓の状態をよくするための点滴、院内ミーティング、一日分の安定剤と眠剤の処方というルーチンです。
それを最低6週間続けるというのが通院のプログラムです。

最初のころは、バッグのなかに缶チューハイを入れて受診したり、帰りに駅のキヨスクでタカラの缶チューハイを買って、トイレで飲んだりしました。
そのうち、優等生的に半年間ほど病院と意志の力で酒を止めることができました。

が、次男の妊娠を機会に通院を止めたとき、再飲酒しました。
私は母性と酒を天秤にかけ、酒のほうを選びました。
出産直前まで飲みつづけ、出産後1週間でまた飲み始めました。
その一週間後、「このままではいけない。お酒をやめたい。」と、自分から専門病院に通院をはじめました。
乳飲み子を抱っこ紐で胸にくくりながらの通院でした。
でも、再通院から一ヶ月後、また連続飲酒をしました。
「やめたいという意志の力」は「飲むという行動」には勝てませんでした。

夫に離婚を持ち出されたとき、わたしが取った行動は『酒をやめようとしているように見えるように自助グループに通うこと』でした。
それが2002年1月31日のことです。
自助グループで酒がやめられるとは思ってもいなくて、「自助グループなんて、アル中の行くとこやんか」と思っていました。
…自分も正真正銘のアル中なのにもかかわらず。

AAでわたしが目にしたのは、この人が本当にわたしと同じように離脱症状に苦しんだり、糞尿を垂れ流したりしながらもお酒を飲み続けたことがあるのだろうか、と疑うくらいパリッとした服装で、力のある瞳で、ニコニコと笑いながら過去自分がどんなにひどい状態であったかを語る姿でした。

断酒に失敗していたころ、わたしは「明日からやめる、これを最後の酒にするから」と飲み続けていました。
「一ヶ月だけはやめよう」とか「子供の授業参観まではやめよう」と思っていると、その間はやめることができるのですが、その期限がくると、反動がきて、以前よりひどい飲み方になりました。

AAで教えられたのは、「明日は飲むかも知れない。でも今日一日24時間は飲まない、ということを積み重ねていくことで、ソブラエティ(飲まないで生きること)は手に入るよ」ということでした。

AAには名簿はありませんし、参加するのに資格はいりません。
また、ミーティングに出席し続けるのも去っていくのも個人の自由です。
しかし、1935年にアメリカで始まり、1975年に日本に入ってきたAAという自助グループに参加することで、わたしが7年6ヶ月間ソブラエティを頂いているのは、事実です。

「この病気にかかったら、一生飲めない」と聞かされたとき、目の前が真っ暗になった気がしました。
しかし、飲む飲まないは自分で選ぶことができるのです。
「目の前のその一杯を飲まない」その繰り返しで、あなたの人生に飲まない日々が残っていくのです。
わたしがAAを去るときは、きっと、再飲酒の準備をしているのでしょう。
今日一日を大切に…AA JAPAN
by luna_oneday | 2009-08-18 11:16 | アディクション